謝罪広告事件メモ

  • 謝罪広告事件大法廷判決は、裁判所が民法723条にいう「名誉を回復するのに適当な処分」として謝罪広告を命じ、民事訴訟法733条(現行法では民事執行法171条)による代替執行をすることが、「意思決定の自由乃至良心の自由」との関係で許容されるかを問題にした。そして、「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のもの」である場合には、許容されるとした。
  • 本判決には、5件の個別意見が付されている。田中耕太郎補足意見および栗山茂補足意見は、謝罪広告命令と強制執行のいずれも許されるとする。入江俊郎意見は、謝罪広告命令は許されるが、強制執行は許されないとする。藤田八郎反対意見および垂水克己反対意見は、謝罪広告命令自体が許されないとする。意見・反対意見も、何らかの広告を命じ、強制執行することまで許されないと主張しているわけではない。問題は、単に誤りを認める広告をさせる、あるいは裁判所によって誤りと認められたことの広告をさせることを超えて、謝罪までさせることが許されるかである。
  • ただ、個人的には、思想・良心の侵害と言うまでもなく、13条の比例原則の問題として、しかも、相当性ではなく必要性の問題として片付けられるような気がしている。
  • 思っていないことを思っているかのように表明させられることは、少なくとも、名誉権または人格権を侵害する。意見・補足意見は、この点を問題にしている(なお、蟻川恒正・メディア百選3版143頁、同「署名と主体」法時74巻11号83頁も参照)。
  • そうすると、その「思っていないこと」が思想・良心の自由にいう思想あるいは良心として保護されるかはさておくとしても、少なくとも憲法13条から、そのような命令をするには、比例性が要求される。
  • では、まず、謝罪広告を命じる必要があるのか。田中補足意見は「謝罪する意思が伴わない謝罪広告といえども、法の世界においては被害者にとつて意味がある。というのは名誉は対社会的の観念であり、そうしてかような謝罪広告は被害者の名誉回復のために有効な方法と常識上認められるからである。」と言う。また、「謝罪広告においては、法はもちろんそれに道徳性(Moraliät)が伴うことを求めるが、しかし道徳と異る法の性質から合法性(Legaliät)即ち行為が内心の状態を離れて外部的に法の命ずるところに適合することを以て一応満足するのである。内心に立ちいたつてまで要求することは法の力を以てするも不可能である。」ともいう。
  • 田中補足意見が述べるとおり、不法行為法で保護される名誉とは社会的評価である。したがって、名誉回復のための処分は、低下した社会的評価を回復させる上で役立つものでなければならない。しかし、謝罪広告は、田中補足意見の述べるとおり、必ずしも加害者(=名誉毀損を行った者)が謝罪の意思を持っていることを表示するものではない。そうであるとすれば、被害者の周囲の人々(=被害者の社会的評価の付与主体)にとって、謝罪広告は、被害者の評価を回復させるものとならないはずである。
  • そうすると、相当性を検討するまでもなく、謝罪広告民法723条にいう「名誉を回復するのに適当な処分」に該当し得ないのではないか。