公務員の個人責任について

報道

 仙台市泉区の市立小2年だった女児(当時8歳)と母親(同46歳)が2018年11月、同級生らによる女児へのいじめなどを苦にして無理心中した事件で、母親が加害側との面談を前に学校長に渡したメモのコピーを、学校長が無断で加害児童の保護者に渡していた。心中は面談の3カ月後で、40代の父親は、学校長の行為は地方公務員法守秘義務違反に当たるとして宮城県警刑事告発し、捜査が進められている。【吉田勝、藤田花】

母・小2娘心中 いじめメモ、加害側に渡す 校長認める - 毎日新聞

これをきっかけに、公務員全体の個人責任について考えたのでメモ。

 

公立学校行政の仕組み

議論の対象としたいのは公務員全体の個人責任であり、公立学校行政に限定する趣旨ではないのですが、一応公立学校行政の仕組みを見ておきたいと思います。

 

執行機関多元主義

地方自治体については、大統領制的な首長・議会の二元代表制がベースとして採用される一方、ブレーキとしてとして執行機関多元主義が採用されています(地方自治法180条の5。他に議院内閣制的な不信任制度や、直接民主制的なリコール制度など)。首長(都庁、市役所として一般にイメージされる機関)以外の執行機関としては、教育委員会選挙管理委員会公安委員会(都道府県のみ。警察を管理する)、監査委員などがあり、首長から独立して職務を行うことになります。

神戸市の市立学校で組体操による事故が発生したとき、市長が次のようなツイートをしていますが、このような言い方になっているのは、組体操をやめさせることが市長の権限に含まれていないからです(なお、最終的に教育委員会が自主的に取りやめを決定したようです:神戸市教委、組み体操を全面禁止に 小中学校で事故多発 :朝日新聞デジタル)。

 

教育委員会の構成と事務局

教育委員会は、教育長と4人の委員で構成されるのが原則的な形態です(地方教育行政法3条1項)。

教育長は、委員会の代表者であり(同法13条1項)、事務局(同法17条1項)の指揮監督権者です。教育長は、①首長の被選挙権を有し、②人格が高潔で、③教育行政(教育ではない)に関し識見を有する者のうちから、首長が議会の同意を得て任命します(3条1項)。実際には、教育委員会事務局職員が昇格するのがほとんどです。

教育委員(教育委員会の構成員で教育長でないもの)は、要件・任命方法ともにほぼ同じですが、③教育行政ではなく、③' 教育・学術・文化について識見を有する者のうちから任命されます(3条2項)。実際には、元知事部局・市長部局職員、元教員・教育委員会事務局職員、元アスリート、研究者、医師や弁護士などの専門職などが任命されることが多いようです。

会社のアナロジーで言えば、「監査役型の会社だが、代表取締役社長以外の取締役が全員社外取締役」という構成になっています(業務執行者が監督機関の構成員を兼ねるがマジョリティではない)。

 

公務員個人に対する損害賠償請求はできない

公務員個人の責任を追及したい場合、考えられるルートとしては、民事、行政、刑事があり、この順に重くなっていきます。

ところが、民事責任について、判例は公務員個人に対する請求を否定しています。

右請求〔注:国家賠償請求〕は、被上告人等の職務行為を理由とする国家賠償の請求と解すべきであるから、国または公共団体が賠償の責に任ずるのであつて、公務員が行政機関としての地位において賠償の責任を負うものではなく、また公務員個人もその責任を負うものではない。(最判昭和30年4月19日集民18号287頁)

その理由として、一般に、国・公共団体は倒産リスクがない以上、国・公共団体を被告にしさえすれば、確実な救済を受けられるということが考えられます。しかし、それは使用者責任の場合も同じような場合があるわけですし(上場企業も倒産する時代になったと言われますが、それでも基本的には倒産しません)、そもそも執行可能性は本来被害者が請求の相手方を選択するにあたって考慮の一要素とすればよいことです。そう考えると、国家賠償法は、公務員を不当に手厚く保護していると言わざるをえないように思います。

特に判例は被害者救済のために公権力行使要件を拡大して解釈してきたこと(抗告訴訟と異なり、純粋な私経済的作用と2条の対象になる行為以外のすべて)を考えるときは、なおさらそうだといえます。典型的には、公立学校教員が私立学校教員よりも不法行為責任の点で手厚く保護される理由はないだろうということです。

 

訴訟告知で公務員個人を引き入れる?

請求の相手方とならない以上、共同被告にはできません。しかし、公務員個人を国・公共団体に対する訴訟に引き入れる方法がないではありません。故意・重過失が認められた場合には公務員個人―国・公共団体間で求償関係が成立するため、訴訟告知(民事訴訟法53条)ができます。

しかし、このことにあまり意味があるとは思えません。訴訟告知の主たる効果はみなし参加による参加的効力にあり(同条4項)、被告知者が実際に参加するインセンティブもそこにあります。参加的効力が生じる要件については議論がありますが、伝統的通説も有力説は、訴訟告知がされただけでなく、少なくとも補助参加の利益が必要であるとする点では一致しています。ところが、国・公共団体に対する請求の場合、どちらかというと被告側に補助参加の利益が認められます。そのため、告知を無視しても参加的効力が生じることはなく、告知を受けた公務員個人からすれば特に参加する意味はありません。

 

公共団体に損害賠償請求した上で、住民として公務員個人に求償するよう再提訴する?

国立マンション事件の名で知られる最判平成18年3月30日民集60巻3号948頁は、建築物撤去請求訴訟であり、景観利益は法律上保護に値するとしつつ、受忍限度論で請求を棄却したものですが、当該マンションの建設をめぐっては、さまざまな訴訟が提起されています。

国立市が当事者となった事件を大きく分けると、①高さ制限条例無効確認・反対から当選した市長の営業妨害行為についての損害賠償請求訴訟(損害賠償について請求認容)、②前記損害賠償についての住民の市に対する求償請求訴訟提起請求訴訟(請求認容)、③市の市長に対する求償請求訴訟(請求認容)の3段階であり、最終的に求償が認められています(東京高判平成27年12月22日判例地方自治405号18頁。上告棄却・不受理。国立市の資料:マンション訴訟の経緯等。また、政治的側面も含めて国立マンション訴訟 - Wikipedia)。

これと同じようなことを、被害者自らが住民として行うことは可能です(過労死した銀行員の妻が損害賠償請求した後に株主として代表訴訟を提起した例として過労自殺で株主訴訟 肥後銀元行員の妻 :日本経済新聞。なお、会社の場合、初めから429条の対第三者責任によることもできます:大阪高判決平成23年5月25日労働判例1033号24頁、東京地判平成26年11月4日判例時報2249号54頁など)。

…とはいえ、あまりに手間がかかりますし、国には使えません。

 

オレはあんたを刑事告発する。徹底的に糾弾するから覚悟しておくんだな!

民事責任がまともに使えないとなると、行政責任か刑事責任ということになります。行政責任が有効かは場合によるでしょうが、「上もまとめでダメだった」という場面では使えません(教育委員会もいっしょになっていじめを放置したケースなど)。そうなると、いきなり刑事告訴・告発ということになります。

もちろん、冒頭に挙げたような、きわめてセンシティブな情報を漏らしたような場合には、刑事責任を負わせることは検討してよいと思います。しかし、全ての事案がそうだとは思えません。

逆に、過失の場合、基本的には犯罪とされていませんし、生命・身体侵害のように犯罪とされている場合でも、組体操のような事案はともかく、一般には注意義務あるいは因果関係の判断が難しく、また、それゆえに検察がそもそも起訴しないことも多くあります。このような場合に責任追及の手段が何もないというのも、やはり問題があるように思います。

そうなると、やはり民事責任の追及はあったほうがよのではないかと思います。

 

しかし判例変更はしてくれそうにない

公務員個人に対して請求できないという原則は、解釈によるものなので、最高裁が解釈を変更してくれればそれまでです。しかし、その可能性は低いように思います。

最高裁は我が国の不法行為制度について、「カリフォルニア州の懲罰的損害賠償制度は我が国の不法行為制度の目的という実体的公序に反するから、懲罰的損害賠償を命じるカリフォルニア州裁判所の判決を我が国の裁判所が承認し、執行することはできない」という趣旨の判断を示した事件で(外国判決の承認については民事訴訟法118条4号、民事執行法22条6号、同24条)、その前提として、次のように述べています。

我が国の不法行為に基づく損害賠償制度は、被害者に生じた現実の損害を金銭的に評価し、加害者にこれを賠償させることにより、被害者が被った不利益を補てんして、不法行為がなかったときの状態に回復させることを目的とするものであり…、加害者に対する制裁や、将来における同様の行為の抑止、すなわち一般予防を目的とするものではない。もっとも、加害者に対して損害賠償義務を課することによって、結果的に加害者に対する制裁ないし一般予防の効果を生ずることがあるとしても、それは被害者が被った不利益を回復するために加害者に対し損害賠償義務を負わせたことの反射的、副次的な効果にすぎず、加害者に対する制裁及び一般予防を本来的な目的とする懲罰的損害賠償の制度とは本質的に異なるというべきである。我が国においては・加害者に対して制裁を科し、将来の同様の行為を抑止することは、刑事上又は行政上の制裁にゆだねられているのである。(最判平成9年7月11日第51巻6号2573頁[万世工業])

誰を請求の相手方とするかは本来被害者の選択に委ねられるべきであるといっても、上記判決が言うような被害回復という観点から見る限り、特に個人を請求の相手方とする合理的必要性があるわけではありません。そうすると、個人請求の可否がオープンな論点である状態で(=昭和30年最判以前の時点で)議論する場合に、ことさらそれを否定するする解釈を取るべきでない理由にはなりえても、一度そのような判例ができてしまった状態で(=現時点で)、わざわざそれを変更する理由にはなるものではないと思われます。

(こういう世に阿るような議論をすると怒られそうですが、法解釈は道徳と違って判決・執行を通じて最終的には実力をもって実現されるわけで、先例拘束力があるかのような運用がされるのも、ある程度は仕方がないのかなあと思っています)

 

では改正

そうすると、法改正するのが筋なのだろうと思います。維新とか、公務員いじめが大好きなので(身を切る改革と称して部下を切る)、意外と乗ってくれるんじゃないでしょうか。

理論的には、損害賠償はエンフォースメントの手段の一つとして捉えられることが増えており(金融商品取引法違反、独占禁止法違反、個人情報保護法違反など。特許権侵害については、損害概念の変容は指摘されているもののなお損害推定にとどまっていますが、日本に似た法体系を有する韓国は懲罰的損害賠償を導入しています)、また、万世工業事件判決も立法は損害賠償を被害回復制度と位置づけていると読むべきだということを言ったに過ぎないので、改正可能な限界を超えるわけではないでしょう。

条文の形としては、さしあたり、2つが考えられます。1つは常に公務員個人に対して請求できるが(1項)、故意・重過失がなかった場合には逆求償ができるというものです(3項)。

第一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体及び公務員は、連帯して、これを賠償する責に任ずる。

② 前項の規定により国又は公共団体が損害を賠償した場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

③ 第一項の規定により公務員が損害を賠償した場合において、公務員に故意又は重大な過失がなかつたときは、公務員は、国又はその公共団体に対して求償権を有する。

ただ、一般不法行為については、使用者責任の性質は代位責任であるという通説の帰結として、逆求償は認められていません。そして、国家賠償責任についてもその性質は代位責任だと解するのが通説なので、現行法では、仮に公務員個人への請求を認めるとしても、逆求償は認められないことになるのではないかと思います。これを変更することになります。

もう1つは、故意・重過失の場合に限り、公務員個人に対して請求できるというものです(現行法の解釈としてもそのような解釈が提案されていますが、多数説となるには至っていません)。

第一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。

② 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、公務員は、国又は公共団体と連帯して、損害を賠償する責に任ずる。

③ 前項の場合において、国又は公共団体が損害を賠償したときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

こっちのほうがストレートな気はします。請求が認められるのは故意・重過失が認められた場合に限られますが、原告が故意・重過失を主張する限り、応訴は免れないことになります。

 

納税者訴訟を作る必要について

とはいえ、末端の公務員の責任を強化するだけでは、ただの公務員叩きです(大いに利用してやればよいと思いますが)。それと引き換えに、国にも納税者訴訟を作り、幹部公務員の責任も強化すべきでしょう。地方自治体幹部を住民訴訟リスクに晒し、企業経営者を株主代表訴訟リスクに晒しておいて、自分たちの責任を追及するルートだけは閉ざすのかという観点からも、そうすべきです。

地方自治体や企業経営者であれば検察もある程度機能するところ、国については必ずしもそうとは言えないことを考えれば、なおさらそうすべきです。

 

公務員の給与を上げる必要について

個人的には、以上に書いたような改正をすると同時に、公務員の給与を上げるべきだと思います。

一般に、公務員にまともな給与を払わないと腐敗すると言われますが、現に公務員の給料は低いにもかかわらず(比較対象は民間一般ではなく、同じような能力を持った人たちとすべきでしょう)、政治任用職はともかく、資格任用職の公務員についてそういうことが起こっているとは思いません。

しかし、より深刻なことが起こっているように思います。給料が低いとなると、能力のある人々が、一般的な傾向として公務員となることを避けるようになります。もちろんそこからすぐに定員が埋まらないということにはなりませんが、「金じゃない、やりがいだ」と考える人だけが集まるようになります。国民の中にはそれが望ましいと考えている人が一定数いるようですが(だからこそ政治家にとって得票のためには公務員叩きをするのが合理的なのでしょう)、これはよく考えると恐ろしいことです。

一つには、生産性が低下します。「やりがいだ」はともかく「金じゃない」とまで言える人はマイノリティなので、競争率が下がり、リクルート側から見れば能力の高い人材の獲得が相対的に難しくなるからです(この記事の読者各位は志願者側でことを見ることが多いのでしょうけれども、我々は主権者である以上、みな一面においてリクルート側です)。金銭的に言えば、税金の無駄遣いです。

もう一つには、企業・個人にとってのリスクが増大します。給料が低いとなると、「現状の運用は国民のためになっていないところがあるから、薄給だけど自分がそれを変えてやるんだ」と考えるような都合のいい志願者はいませんから、次第に志願先の実務に過剰に肯定的な人ばかりが集まるようになります。そうすると、多様性が失われ、意思決定にあたって多様な観点からの検討を加えることが難しくなり、意思決定の適正が確保できなくなっていきます。特に(特定の業規制などではないという意味で)一般的かつ企業・個人の重要な権利を制約するような活動を行う官庁であれば、その弊害は重大です。

(なお、上記二段落は集団の比較の話であり、個々の職員の能力の話ではありません。)