故人、生存中の人物、創作キャラクターの利用に関するメモ(AI美空ひばり、ナマモノ、ディープフェイクAV etc)

問題になりうる場面と派生パターン

  • 故人をAI(ボーカロイド)で「復活」させて故人が歌っていた歌を歌わせてみる(e.g. AI美空ひばり)。
    • 故人をボーカロイドで「復活」させて故人が歌っていなかった歌を歌わせてみる
    • 故人をボーカロイドで「復活」させて故人のものでない考えを言わせてみる
    • 故人をCGで「復活」させて故人が言っていなかったことを言わせてみる(e.g. huluの淀川長治氏を再現したCM)
    • 生存中の人物を同意なしにボーカロイドで「複製」してその人が歌っていない歌を歌わせてみる(同意がある例として、がくっぽいど
    • 生存中の人物を同意なしにCGで「複製」してその人が言っていなかったことを言わせてみる(同意がある例として、JUDGE EYES)
    • 生存中の人物を同意なしにCGで「複製」して性行為をさせてみる(e.g. ディープフェイクのAV)
  • 創作キャラクターに性行為をさせる二次創作
    • 実在の異性愛者である人物に異性との性行為をさせる二次創作(実在の人物をモデルとする二次創作を「ナマモノ」と呼ぶ)
    • 実在の異性愛者である人物に同性との性行為をさせる二次創作
  • 死亡している場合
    • 織田信長(16世紀の人物)をゲームに登場させて、独自のキャラクター設定で描く(e.g. 戦国無双戦国BASARA
      • 性行為描写をする場合
    • 沖田総司(19世紀の人物)を…(以下同じ)(e.g. 銀魂FGO)(このへんまではほとんど議論はないと思うが、比較対象として)
      • 性行為描写をする場合
    • 吉田茂(20世紀の人物)を…(以下同じ)(ちなみに孫は麻生太郎である)
      • 性行為描写をする場合
    • 2010年代まで存命だった人物を…(以下同じ)
      • 相続人がいる場合/いない場合
      • 性行為描写をする場合
    • 故人(というか遺族)の人格権について、自衛隊合祀事件に関する議論を参照*1

 

どのような保護が考えられるか?

見た目の冒用とキャラクターの冒用が区別できる。

  • 見た目の冒用
    • 人:
      • 人格権的アプローチ:肖像権。「その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態…を撮影されない自由」(京都府学連事件)、名誉権(後述)。
      • 財産権的アプローチ:パブリシティ権。「商品の販売等を促進する顧客吸引力…を排他的に利用する権利」(ピンクレディ事件)。ただし、「人格権に由来する権利」である(同)。
    • 飼育動物(法的には所有物):保護されない(パブリシティ権についてギャロップレーサー事件)。人格権はありえない。
    • 創作キャラ:著作権で保護される。ただし、侵害には依拠性、類似性が必要。人格権はありえない(著作者人格権は公表権、氏名表示権、同一性保持権などを内容とするので、今回の事案には使えなそう)。
  • キャラクターの冒用
    • 人:名誉権?(ブランドの冒用がブランドに対する社会的信用・評価を毀損すること(汚染;ポリューション)からすると、人に対する社会的信用の毀損として名誉の問題にできそう)
    • 飼育動物:保護されない。キャラクターという性質上、人格権しかありえないが、動物の人格権というのはありえないので。
    • 創作キャラ:保護されない(根拠は同上)。なお、理論的には著作権の保護範囲次第では財産的に保護されてもよいはずだが、実際にはそのような解釈は取られていない:著作物を構成するのは具体的表現であって、アイデアやキャラクターではない*2(アイデア・表現二分論。特許などとは異なる)。

 

松原先生のコメント

AI研究者の松原仁先生がコメントされていたので引用しておきます。

AI美空ひばりがレコードなどの記録媒体と異なるのは、新たな「歌唱」について、本人の意思や自己決定がない点だ。
「今後は音声や映像についても、臓器提供のように、生きているうちに意思表示するなど、コンセンサスが必要だという議論になるかもしれない」
新たなルール作りの必要性を示唆する一方、人の「意思」そのものを問い直す契機にもなると、松原教授は提起する。
「たとえばモノマネはこんなに非難されないですよね。『あの人にはマネされたくない』という意思があったかもしれないのに。機械がやると、だめなのか」
突き詰めていくと、そもそも人に意思はあるのか、という問いにぶつかる。
「私たちの判断もコンピューターのように、様々な外的要因で決定されているかもしれない。それは本当に自由意思と言えるのか」
AI研究は、人の機能の一部をコンピューターやロボットに担わせることを可能にし、人の存在そのものを見つめ直すことにつながると松原教授は考える。
「当然うれしいことだけではなく、見たくないものも目に入ってくる。違和感が出てくるのはまさしく、そういうときなのではないでしょうか」
AIひばり、歌声が問うもの 元人工知能学会長・松原仁さんに聞く:朝日新聞デジタル

 

*1:最高裁によれば、「人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いところである。信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである。原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。」。
伊藤反対意見は、宗教上の人格権あるいは宗教上のプライバシーを認めるべきだとしており、個人的にはそれが妥当だと思う。なお、坂上意見は、伊藤裁判官と同様に近親者の宗教上の人格権を認めるべきだとしつつ、故人の父が合祀を望んでいるから受忍限度内であるとしているが、近親者にも優先順位があり、本人>配偶者>子>親>兄弟姉妹であるべきだろう。

*2:イデア・表現二分論について。著作権法著作権などの権利を創設する法律であるが、その目的は、「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与すること」にある(同法1条)。つまり、文化の発展が最終的なゴールであり、著作権はそのためのインセンティブにすぎない。さらに言い換えると、排他的権利を与えることにより、創作に投下した労力に見合う対価を得る機会を与え(実際に得られるかは関係がない。それは創作に対する人々の評価しだいだろう)、それによって創作をしようという意欲をかき立てようとするわけである。ところが、あまりに著作権の保護範囲を広げてしまうと、創作の可能性が狭まり、かえって「文化の発展に寄与する」という目的を損なってしまう。そのため、具体的な表現にのみ著作物性が認められることになっている。例えばラフォーレのテプラの件( ラフォーレ原宿のテプラだらけの広告、見にくいと思いきやなぜか見ちゃう→しかし、パクリ疑惑が浮上し騒然 - Togetter)で言えば、テプラを使って表現するというのはアイデアの域を出るものではないので、少なくとも著作権侵害の問題にはならない。